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【火垂るの墓】モデル地となった場所はどこ?聖地巡礼マップは?

高畑勲監督が亡くなったことから追悼として、4月13日の金曜ロードショーにて「火垂るの墓」が急遽放送されることが分かりました!

火垂るの墓と言えば、日本のアニメの中でも感動する作品であるので、日本人であるならば、誰もが見たことのある作品だと思います!

ただ、戦時中の話なので、時には描写がリアル過ぎてトラウマになるということもありますが・・・(^_^;)

そんな火垂るの墓のモデル地となった場所がどこか気になったので、聖地巡礼マップも一緒に見ていこうと思います!

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火垂るの墓のモデル地となった場所はどこ?

火垂るの墓は、ただ単に日本の戦時中のハナシだけでなく、リアルなのは原作者である野坂昭如さんの実話を基にして描かれた作品であるからです。

関西弁が入っていたことから、特定することができた人もいますが、モデル地となった場所は、兵庫県神戸市西宮市近郊を舞台にしたと言われています。

そのため、兵庫県神戸市や西宮市へ行くと、火垂るの墓のシーンで出てきた場所が数多くあるんですよね~^^

ちなみに、御影公会堂から石屋川と国道2号線に挟んだ斜め向かいには、火垂るの墓の石碑が立っているため、まずはここを訪れなければ、聖地巡礼と言えませんよね~^^

火垂るの墓の聖地巡礼マップ!

火垂るの墓のシーンで使われた場所は、今も実際にある場所となっているため、聖地巡礼として訪れることができ、よりいっそう作品を楽しむことができそうですね^^

ということで、具体的にどこのシーンで、どこの場所がモデル地になったのか、詳しく見ていきたいと思います!

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三ノ宮駅

映画の冒頭で清太が亡くなるシーン、コンコースにある円柱によりかかり、息を引き取ったシーンで使われました。

阪急三宮駅ホーム

オープニングの赤いシーンのところで、節子と兄が駅電車に乗り込むシーンで使われました。

節子の実家

空襲で家が無くなるまで住んでいた節子と清太の住所「神戸市東灘区御影本町6丁目~8丁目」で使われました。

阪神電鉄本線のガード下

節子と清太が非難しようとしましたが、大勢で入れなかった場所で使われました。

公会堂

海を出た節子と清太は石屋川に沿って目指した場所で、1933年に御影町公会堂として建設され、ずっと残っています。

石屋川駅

公会堂に向かって歩き出したり、路面電車が動かなくなっていたりした場所付近で使われました。

成徳小学校

映画に登場した救護所のモデルとなった場所で、野坂昭如さんの母校でもありました。

火垂るの墓についてのまとめ!

火垂るの墓のモデル地となった場所や聖地巡礼マップということで見てきましたが、いざ作品で使われた場所となると、さらに感情移入してしまいそうになりますし、よりリアルな映画を感じられますよね~。

モデル地となった場所に住んでいた人々はちょっと複雑な気持ちかもしれませんが、他の場所に住んでいる人たちや今の若い世代は火垂るの墓のような作品で、昔の出来事を知ってもらうのは良いことではないでしょうか?

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最後までお読み頂きまして、ありがとうございました!m(_ _)m

どうぞ他の記事もごゆっくりとお読みくださいませ♪

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