双羽黒(ふたはぐろ)事件とは何?騒動真相や北尾光司(現在画像)について!

大相撲の横綱日馬富士が引退を決意し、貴ノ岩暴行事件から2週間経った今、問題が解決の方向に向かっていっております。

今回の横綱トラブルは、日本とモンゴルの国際問題にも発展するほどの事件だったため、かなり大きく話題となりましたが、度々ニュースの内容と事実が食い違うことがあったため、上から何かしらの圧力が絡んでいるという風に捉えた方も多いのではないでしょうか?

おそらく、今までに相撲業界でこのような暴行事件が多々ありましたが、警察沙汰にならないように、いろいろ根回しなどが働き、公にならなかったのではないかと思いました。

しかし、過去に表沙汰にならざるをえない事件もあったのですが、その中には「双羽黒事件」というとても大事になった騒動があり、どのような事件か気になったので調べてみました!

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双羽黒とは誰?北尾光司と同一人物?

双羽黒事件についての前に、事件に関与した張本人「双羽黒(ふたはぐろ)」とはどのような人物であったのか、気になったので、まず双羽黒自身について調べてみました!

ちなみに、「双羽黒」というのは、「北尾光司」さんのことで、大相撲時代(代60代横綱)の四股名なんですね~。

双羽黒のプロフィールは?

こちらが双羽黒のプロフィールになります。

  • 四股名:双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)
  • 本名:北尾 光司(きたお こうじ)
  • 生年月日:1963年8月12日
  • 年齢:54歳
  • 出身地:三重県津市
  • 身長:199cm
  • 体重:157kg
  • 職業:武道家(元:大相撲力士、総合格闘家、プロレスラー)

双羽黒の経歴は?

双羽黒についての経歴も調べてみました。

幼少期より父親の影響で柔道を始め、小学校に土俵が完成してからは毎日のように相撲を取り徐々に相撲が好きになり、商店街の相撲大会で優勝する。

中学校に入学以降、「立浪部屋」後援会会員の中にアマチュア相撲三段の腕を持ち、「津相撲クラブ」の責任者を務める人物から指導を受けるようになり、夏休みは泊まり込みで稽古を行った。

中学3年生の夏休みに、相撲教習所で行われた「日本相撲協会指導普及部」の進級試験兼各支部対抗試合で優勝し、角界で評判となった。

相撲で有名な三重高等学校の進学をせず、「5年で関取になれなかったら帰ってくる」という条件で、「立浪部屋」に入門した。

双羽黒事件とは?騒動の真相が気になる!

双羽黒がかなり相撲界で有名であり、そして将来や今後を期待されている力士であることは分かりましたが、一体どのような事件を起こしたのでしょうか?

双羽黒事件は、1987年12月27日に起こった、立浪との若い衆に対する意見の対立から部屋を脱走し、そのまま廃業(破門)となった出来事でした。

この事件の発端となったのは、双羽黒が「あんなちゃんこが食えるか」と言ったことを立浪の若い衆が立浪に言いつけたことが原因で、立浪親方と双羽黒は大喧嘩に発展し、「二度と戻らない」といって部屋を出ていきました。

一見、ちゃんこの味や美味いまずいなどで揉めたのかと思ったのですが、そうではなく立浪の若い衆が料理を作れないほどたるんでいるということが原因で、立浪親方に何回も言ったそうですが、逆に双羽黒から若い衆に謝るように言われたことで腹が立ったみたいです。

この騒動で問題となったのは世間に明るみになった時に、立浪親方と双羽黒の意見が全く食い違ったことでした。

立浪親方と双羽黒が大喧嘩になった時、仲裁に入った女将がふっ飛ばされたのですが、立浪親方は新聞記者に対して、
「女将に暴力を振るった」と真実とは異なる内容を伝えていました。

この意見の食い違いにより新聞記者を煽り、大騒ぎになってしまったというのがこの騒動の真相のようですね。

その時のニュースの内容はこちらになります。

これだけ聞くと、双羽黒は悪くないように思えて立浪親方にハメられた感じがして、とても気の毒であるため、双羽黒は真相を知ってもらえず、可哀想ですよね。

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双羽黒の現在は?画像を調査!

双羽黒は廃業(破門)後、「スポーツ冒険家」という肩書で、テレビや週刊誌の取材にも応じたりなど、タレントとして活動しました。

アメリカで数ヶ月間みっちり修行を重ねて、廃業から2年後(1990年)、東京ドーム大会でプロレスデビューを果たし、デビュー戦で勝利することができました。

しかし、長州力に対して民族差別発言をしたことで新日本プロレスから契約解除を言い渡されました。

プロレス引退から5年後(2003年)、双羽黒は日本相撲協会所属ではないフリーの立場ながら、代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任しました。

双羽黒は当時の事件について、こう語っていました。

「私は、自分のまわりにいた若い子たちに、少しでも楽をさせてあげたいという気持ちがありましたが、師匠は、昔風に、若い者にはつらい思いをさせないと強くなれないという考えだったので、そこに心のズレがあったように思います。

修行途中で、精神的な部分がまだ未熟な人間に贅沢をさせたり、わがままを聞いたりすると、こういうことになってしまう。相手をつぶしてしまうことだったんだということを、当時の自分は把握できていなかった。私自身の心の未熟さだったと思っています」

「これまでのことなども含めて、師匠と意見が対立してしまい、お互いに歩み寄れればよかったんですが、中々そういう訳にもいかなかった。私は、部屋の個室とは別に自分で別にマンションを借りていたので、自分のマンションで冷静さを取り戻そうと思っていました。

しばらく頭を冷やしたら、また師匠と話をするつもりでいたのです。ところがその最中に当時師匠の女将さんが、マスコミ各社に片っ端から電話をしたことにより、事態は最悪に次ぐ最悪になってしまった。師匠と私は『廃業』などいう選択をするつもりは、毛頭なかったんですよ」

「表立った活動は特にしていません。このまま時が経って、風化されればいいかなぁという気持ちだけですね」

引用元:Wikipedia

双羽黒が再び角界で活動しているようですので、時間はかかりましたが好きだった相撲界に戻れて本当によかったと思います。

双羽黒の現在の画像について調べてみましたが、今は裏方の仕事ということで、画像は公開されていないよですね~。今後も裏方の仕事に徹していくものだと思われます。

双羽黒事件についてのまとめ

ということで今回は、双羽黒事件について調べてみましたが、日馬富士の騒動と違い、原因がそこまでひどかったり負傷者が出るなどそこまで悪質ではない事件であったため、今回の日馬富士の事件が本当に異例だったのだと感じました。

双羽黒は、つらい経験をしてきましたが、今は立浪部屋のアドバイザーに就任することができて、やっと胸のつっかえがとれて、ようやく自分らしい人生が送れているのかもしれませんね。

相撲界は上下の立場が明確であり、しかも暴力も起こりやすいイメージですので、今後相撲ファンのためにもこのような騒動は起きてほしくないと思いました。

最後までお読み頂きましたありがとうございました!m(_ _)m

どうぞ他の記事もごゆっくりとお読みくださいませ♪

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